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私の英語学習法|幼少期〜大学受験

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これまで英会話学校で働いたきた中で、何回も何回も聞かれた質問があります。生徒から聞かれた事というよりも、スクールスタッフや日本人講師から聞かれた事です。それはこんな質問です。

  • 「どうやって英語を勉強したんですか?」
  • 「どうやって英語を身に付けたんですか?」
  • 「どうやって英語が話せるようになったんですか?」
  • 「海外に行かなくて、日本で勉強して英語が話せるようになったんですか?」

私が外国人講師の面接をしたり、研修をしたり、ミーティングをしたり、出版社など海外の取引先とのやり取りを見聞きしていた、スクールスタッフや日本人講師は、私の英語力を過大評価し、また私が留学経験も海外生活経験も無いことを知った時に聞いた質問です。

実際には英語圏で何年も勉強し、働き、生活してきた人達のような英語力があるわけではありません。何十年も同じ分野で英語を使って仕事をしていれば、仕事上の定例的なコミュニケーションに困ることはありません。バリエーションはあるものの、似たようなパターンの(コミュニケーションパターン)の繰り返しです。おそらくこれは、仕事で英語を使ってきた人であれば、感覚的に分かることだと思います。

ただし、留学や海外生活をせずに、日本国内で自分で英語を勉強し、その英語力で40年近く仕事をして数千人以上の外国人講師に「英語・英会話の教え方を教え」、「数十名のトレーナーに講師研修の方法を教え」「数千人以上の英語学習者に英語を直接的・間接的に教え」、「カリキュラム・シラバス・テキスト・スクールシステムを開発し」、「ビジネスとして英会話スクールビジネスを経営した」、経験を持つ人は日本国内ではあまりいないのではないか、と思い、これ前の経験をまとめ、英語を身につけたい、あるいは、教えたい、という方達に、少しでも役立てばと言う思いで、このサイトを作りました。

今振り返ってみて当時の自分は、この質問に対してあまり真剣に答えていなかったなぁと反省しています。と言うのも、彼女達にしてみれば(”彼女達”と言うのは、英会話学校で働く日本人講師やスクールスタッフは圧倒的に女性が多く、ほとんどが20代~30代女性だったからです)、「英語力、特に英語コミュニケーション力を伸ばす、ネイティブのように話せるようになる」という事が、何よりも大切な、最優先事項だったのでしょう。

いつも、「勉強したからだよ」とか「英語(外国語)なんて、結局単語覚えて文法勉強して多読すれば良いんだよ」と答えていたからです。(でもこれは端的に一番正しい答えだとは思います)

ただし、彼女ら彼らが知りたかったのはもっと具体的な事だと思うので、自分の英語学習歴を、特に英語習得に役に立った方法という観点から書き出してみました。

目次

1. 幼少期

勉強している子供の写真

幼少期の記憶。当然ながら幼少時、3-4歳から小学生くらいの記憶、特に英語学習に特化した記憶などありません。ただし、英語を教える、講師に英語の教え方を指導する、という経験を積んだ後に振り返ってみると、いくつかポイントがあります。

1)英語の音を聞く

英語を教え始めた時、”言語による使用周波数の違い”、と言う事を聞いた事がありました。日本語には日本語が使う周波数帯、英語には英語が使う周波数帯があり、英語の使う周波数帯の方が広いと言うことです。

これは、抑揚/イントネーションで考えてみるとわかりやすいかもしれません。やはり、英語の方が日本語に比べて、音程の上下、強弱などが激しい印象があります。「聞き取る」と言う点で考えると、人が聞こえる範囲(周波数の上限と下限)は幼少期に聞いた周波数に影響され、決定されると言うこと聞いた事があります。真偽の程はわかりません。

この説が正しいとすると、幼少期に英語やその他の周波数帯の広い言語や音楽などを聴き慣れ親しんできたが、その後の「聞き取り」能力に影響すると思われます。

自分の場合、幼少期にどのように英語に触れ合ったきたか、正確な記憶はありません。ただし、記憶に残っているのが、ラジオ、レコードとテレビです。家の中でラジオが流れていた記憶があります。当然ながら当時は何を聞いたいたかなどと言う意識はありませんが、今振り返ってみるとおそらくFEN(現在のAFN)です。AFNとは、American Forces Radioの事です。AM810で聞けます。在日米軍用のチャンネルで、当然ながら1日中英語放送で、アメリカのヒット曲とか掛けています。レコードは洋楽。テレビも洋画と外国ドラマです。当然日本語吹き替えですが、多分音楽とかは英語だったのだと思います。

英語力をつける、と言う観点では、何も役に立っていないと思うのですが、聞こえる周波数帯の幅に関しては明らかに影響があるのだと思います。と言うのも、英語を勉強してきた中で、発音に関してあまり苦労した事がありません。なので、この幼少期の経験、と言うか、環境は後に非常に役に立ったのだと思います。

私に英語の身につけ方を質問してきた、日本人講師やスクールスタッフの中には、「子供をバイリンガルに育てたい」と言う思いで聞いてきた人も多いと思います。個人的には、幼児期から無理やり英語教育する必要性は感じていませんが、英語や他の言語た自然と耳に入ってくる環境は大切だと思います。語彙力とか表現力とか、言語能力というよりも、耳で聞こえる周波数帯を広げると言う観点からです。

音楽もそうなのですが、やはり耳、「聞く力」は非常に大切です。「リスニング力」を身につける方法は後述しますが、その前提として、早い時期から、広い周波数帯の音を聞く、という事は非常に大切だと思います。

2)外国を感じる

  これは非常にシンプルな事です。外国語学習は時間もかかり、努力、労力も必要になります。「いつか外国へ行ってみたい。生活をしてみたい」「外国人と話してみたい。色々と知りたい」と言う気持ちがないとなかなか継続していく事が難しくなります。

ちなみに、私が生まれたのは1961年で、昭和の高度成長期の真っ只中です。まだ1ドル=360円の時代で、日本に外国人が珍しく、海外旅行に行く人もほとんど居なかった時代です。たまたま、母方の叔父が、グループサウンズ(今でいうバンド)をやっていて、海外への憧れが強く、うちにも洋楽のレコードが沢山あり、母親もミーハーだったので、外国人俳優に憧れていて、毎日のようにテレビで洋画を見ていました。

今ではあまり珍しくないかもしれませんが、当時このような環境で自然な形で英語圏の文化に触れ、「いつか行ってみたい」と思えた事は幸せだったのでしょう。

3)外国を”身近に”感じる

  改めて当時の事を思い返してみると、私は叔父の影響を多大に受けていたのでしょう。叔父はグループサウンズをやっていて、よく氷川丸(横浜山下公園に停泊していた客船)でダンスパーテイをしていました。(今は死後ですね!) 良く母親に連れられて氷川丸に行った事を覚えています。そこに外国人がたくさん居たとか言うことではなく、何か昭和の日常と違っていたと言うことです。でも、当時の(1960年代高度成長期の昭和)日本の状況を考えると、極めて外国的な雰囲気の漂う空間でした。

その叔父は、当然ながら海外が大好きで、外国に旅行に行っていました。これも1960年代には非常に珍しい事です。1ドル=360円の時代なので、外国に旅行に行くなんて一生の夢みたいな時代でした。当然ながら費用がかかる事なので、叔父は羽田空港で航空系の仕事をしていたらしく、数ヶ月働くと航空代がほぼフリーになったようです。なので、母親と一緒に良く(多分時々)羽田空港に見送りに行っていました。

外国も空港も飛行機も珍しい時代だったので(海外出張に行く同僚を見送りに来ていた社員が万歳三唱して胴上げしていた時代です)、叔父が乗って(乗ったと思っていた)飛び立った飛行機を見上げながら、いつか行ってみたいと思っていました。

あまり直接英語力に関係していないような事ですが、外国語を身につけるには膨大な時間と労力が必要になります。その時に、「いつか外国へ行ってみたい。生活をしてみたい」「外国人と話してみたい。色々と知りたい」と言う気持ちが強ければ強いほど、外国語学習を継続でき、結果的に語学力を身につける事ができます。

2. 中学生時代

学校授業の写真

良く「中学英語をマスターすれば、英語が話せるようになる。」と言うような話を聞く事があります。ある意味正しいのですが、色々な意味を持っているので、それはまた別のセクションで書きます。ここでは、その大切な中学校時代の英語との出会いについて書きます。

1)中学1年:「基礎英語」

今と違って当時の教育では、小学校では英語は全く勉強せず中学校になると全く新しい科目として英語が始まりました。国語算数理科社会のように小学校から勉強している科目に関しては、既に学力差がついてしまっているのですが、英語は全員一斉に1からのスタートなので、「他の科目は苦手でも英語はがんばろう!」的な意識が全員あったのだと思います。

実際、中学1年の頃は皆英語が大好きでした。テストも単語を覚えていれば高得点が取れるし、他の科目に比べて授業も楽しかったのだと思います。中学校1年生1学期の授業の記憶は、皆んなで先生の後についてリピートする!みたいな印象です。

少し差がついてくるのが、1年生の2学期から3学期くらいです。この辺りから、英語が嫌いになる生徒が少しずつ出てきました。最初の分かれ目が、かの有名な「3単現のS」です。そもそも、”人称”と言う感覚が良くわからない。なんで人称によって、動詞が変化する必要があるのか、不規則な動詞があるのか、be動詞と一般動詞って何なのか? 英語が嫌いになってきます。

そして、意外と早い時期に出てくるのが、「数えられる名詞」「数えられない名詞」です。水やコーヒーはともかく、なぜパンやチーズ、魚や肉が数えられないのか、さっぱりわかりません。テスト結果も1学期は全員100点みたいだったのが、段々と差がついてきます。

自分の場合は、やはり幼少期の「海外への憧れ」が残っていたので、他の科目よりは一生懸命勉強したのだ思います。ただし、当時の中学校で教師から指定された勉強方法は、ノートの左側にテキストの本文を書き写し、右側に日本語訳を書く、と言う方法でした。まぁ、今思えばあまり役に立つ方法ではありません。

その中で非常に効果的だったと、後から振り返って思うのが、NHKのラジオ講座です。中学生になって英語の科目が始まった時、母親が「NHKの基礎英語が良いらしいよ!」と言ってラジオ講座のテキストを買ってきました。

中1の頃は聞いたり、聞かなかったり、でした。と言うのも、当時の基礎英語は最初の半年くらい、ずっと単語の練習だったような気がします。正直あまり面白くなかった。ただし、中学校で40人一斉にリピートするのと比べると、やはり「海外の雰囲気」がありました。と言うのも当時は日本にあまり外国人がいなかったのです。

今のように、当たり前のように多くの観光客が外国から日本を訪れ、日本企業で働いている外国人がたくさん居て、そこら中に英会話学校があり、小学校からALTの先生がいる環境とは全く違います。NHKのラジオ講座で聞こえてくる「外国人が話す英語」が何とも珍しく、その向こうに外国が見えたのです。

2)中学2年:「続基礎英語」

色んな意味で、それぞれの生徒のその後の英語に対する考え方が変わってきたのが、中学校2年生~3年生だと思います。「3単現のS」「数えられる名詞・数えられない名詞」がその後の「英語に対する感情」に影響を与えたとすると、中学2年生はさらに大きな分かれ目になります。

まず、過去形です。日本語だと「~した」「だった」みたいに単に語尾に付け足せば良いものが、英語だと動詞ごとに「過去形」に活用しないといけない、しかも「規則動詞」と「不規則動詞」があって活用を覚えないといけない。挫折します。

そして、比較級とか最上級とか、不定詞動名詞とか、よく覚えていませんが、受動態とかも2年生ですかね。中学1年の時、あんなに楽しくて、皆んなが大好きだった「英語」と言う科目が、英語好きな人、と英語嫌いな人に二分されてい来ます。

私の場合は、引き続きNHKのラジオ講座を続けていました。中学1年の時聞いていた「基礎英語」はあまり自分に合わなかったようなので、聞いたり、聞かなかったり、と言う感じでしたが、「続基礎英語」は何故かハマりました。ほぼ欠かさず毎日続け、母親に頼んでカセットテープも買ってもらい、繰り返し練習していました。

具体的に何がどのように語学力向上に役立ったかと言うことは、「英語学習法」のカテゴリーで書きますので、ここでは簡単に箇条書きします。(これは後に英語を教えるようになってから、自分の経験を振り返って理解した事です。当然ながら当時は何も意識していませんでした。)

ポイント
英語の音(発音・リズム・イントネーション)

幼少期の章で書きましたが、外国語学習で非常に大切な部分です。

ポイント
文法力

過去形、未来形、動名詞、不定詞、受動態、など中学校で学ぶ英語文法の口頭練習をしていたので自然と文法力がつきました。しかも学校の授業などに比べて圧倒的にスピードが違います。

ポイント
語彙力

当時のラジオ講座は、(基礎英語と続基礎英語に関してです)中学校の1年生、2年生に出てくる語彙より難易度が高かったような気がします。

ポイント
基本文暗記

繰返し練習しているうちに、重要文法や構文、表現を丸覚えしてしまった事は、後々非常に役に立ったと思います。

ポイント
リスニング力

当たり前ですが、学校の授業では身につかないリスニング力がつきました。

ポイント
スピード

聞いて理解し、リピートし、答える練習しているわけですので、英語を理解し、答えるスピードが付きます。時間をかけて答えられる学校にテストはいつも時間が余っていました。

  「続基礎英語」は当時の中学校の英語と非常に良いバランスでオーバーラップしていたので、ラジオ講座を続けていたおかげで、学校の英語には全く困りませんでした。しかしながら、中学校3年生になると少し状況が変わってきます。

3)中学校3年:「英会話」+テスト勉強

 「基礎英語」「続基礎英語」と続けてきたNHKラジオ講座は、当然のように次の段階に進みました。「英語会話」です。「英語会話」と言う題名の通り、英会話らしい場面が圧倒的に多くなりました。と言うか、いわゆる「旅行英語」的な内容がメインです。本格的な「英会話」の番組になったので、非常に嬉しかった記憶があります。

当時の「ラジオ英語会話」は、おそらく東後先生マーシャクラカワさんだったと思います。かなり「外国」を感じられて、非常に楽しく、「いつか外国に行ってみたい」と言う気持ちがさらに強くなった気がします。

また、中学校2年生、3年生くらいになると、友達と映画を見に行く事も多くなりました。2023年の現在の中学生とは比較にならないくらい、昔の、昭和の時代なので、電車に乗って映画を見に行くって事はかなり刺激のある出来事です。劇場の大画面で見た、外国の世界はあまりに輝いていて、すぐにでも日本を飛び出したいと思ったくらいです。当然ですが、洋画を見ても英語のセリフなど一言も分かりませんでした。

しかしながら、当然といえば当然ですが、「基礎英語」「続基礎英語」が中学1年、2年の学校の内容にかなり密接にリンクしていたのに比べると、「ラジオ英語会話」は中学校3年の授業内容と離れていきました。段々と学校の英語が難しく感じるようになってきました。

文法的には、現在完了形とか、関係代名詞副詞節とか出てきて、さらに英語が嫌いになる人が出てくる頃でしたが、「続基礎英語」のおかげで、これらの文法事項はあまり難しく感じませんでした。

問題なのは、語彙力です。中学校3年くらいになると教科書の英文がどんどん長文化し、それにともない語彙レベルも格段に上がります。また、単語の種類も、ラジオ講座「英会話」の日常生活的な語彙と異なり、もう少しアカデミックな語彙が増えてきます。

高校受験もあるので、この頃から学校の英語を勉強するようになりました。と言っても、「基礎英語」と「続基礎英語」で基本文法はかなり身についていたとみえ、教科書に出てくる単語を覚えて、音読すると自然とテストの点数も上がりました。

良く「中学英語をマスターすれば英語は話せるようになる」と言うことが言われます。これはある意味正しいと思います。中学生時代に、「基礎英語」「続基礎英語」「ラジオ英語会話」と続けているうちに、自然と中学校で学ぶべき、文型、語彙・表現、文法を身につけた事は非常に後の英語学習に影響を与えたと思います。しかも、「音から入る」「文字に頼らない」「ナチュラルスピードで理解する」(実際にはラジオ講座含む日本の語学教材はナチュラルスピードではありません、)、と言う学習方法は非常に有効だったと思います。

4)音楽と映画

  叔父の影響で幼少期から自然な形で洋楽に触れていましたが、意識的にそして本格的に洋楽を聴き始めたのは、中学生の頃です。当時のクラスメートは、ビートルズカーペンターズとかが人気で、当然のように自分も聞いていました。歌詞カードを見ながら音を聞いて、全く聞き取れないことに気づきました。

良くわからないで、レコードと一緒に歌っていたのが、

ショジュルーライショジュルーライ

(she ought to do right)

She’s got a ticket to ride.  

(彼女は乗るべきチケットを手に入れた)

みたいな感じです。また歌詞カードと日本語訳を見比べてもピンと来ないことが多かったですね。

  

クラスメートのマジョリティは、ビートルズとかカーペンターズだったのですが、私の場合はこの頃からギターを始め、ロック色が強くなり、レッドツェッペリンオールマンブラザーズとかにハマり始めました。そうすると、

  • Dig it!  Push! みたいな表現とか、
  • Lord have mercy on me  とか、
  • I ain’t got nothing to lose とか

もう全くわからない!

でも真似して一緒に歌ってました。かなり歌詞は丸覚えしてましたね。

歌詞と意味が一致してくるのは、恐らく10年後くらい、ある程度英語でコミュニケーションが取れるようになったくらい。でもこの「良くわからないけど、覚えちゃった!」みたいな経験は絶対に必要です。

映画も同じですね。

クリントイーストウッドダーティーハリーとか見て、
Go ahead! Make my day!

って真似しながら、「私の日を作る」って誕生日なのか? 的な。。

これは、学習方法のカテゴリーで詳しく書きますが、語学学習では、単語や表現、の語感を身に付ける必要があるのですが、そのためには一つの単語・表現をいろいろな状況でいろいろな使われ方をしている場面に数多く出会わないと身につかないのです。(ある意味文型も)

単語帳みたいなもので、「1単語=1意味」的な覚え方をしても、語感は身につきません。(ただしテスト対策のような勉強では、単語帳で「1単語=1意味」も有効です。)

学校の勉強やラジオ講座とは全く違う形で、英語に出会い、また更に「いつか外国に行ってみたい!」と言う気持ちを強くしてくれました。

3. 高校~大学受験

街を歩く学生の写真

英語学習という観点では高校生時代は完全に闇でしたね。と言うのも、学校での扱いは完全に落ちこぼれであり不良だったので。中学生から始めたギター、と言うか、ロックギターが完全に生活の中心になり、学校や授業、成績の優先順位は最下位に落ちていたからです。英語に限らず、すべての科目、全く勉強しませんでした! 楽しかったけど。この時代の事は、音楽関係のサイトで書くのでここでは割愛して、英語の話に戻ります。

1)同時通訳式速読法

とにかく高校1年生、2年生の時は全く勉強せず、3年生になりました。すると、将来へ不安を感じ始めました。と言っても、自分の将来を真剣に心配したのではなく、「このまま、高校卒業したら、働かなくちゃならないのか? まだ働きたくない!」と、単に労働から逃げたかっただけです。

「何が何でも、大学に入学しないといけない!」、と言うことで、高校3年生の1学期から勉強を始めました。ただし、高校1年、2年と全く勉強してきてなかったので、大学受験レベルに、そう簡単に追いつけるものではない。科目の多い理系は諦め、文系に絞りました。そして気づいたのは、「英語の配点が高い」

英語の勉強を始めました! 「英語はずっと得意だったし、なんとかなるはず!」って。しかし、高校3年の英語の教科書を見ると、「?????」 失った2年間はあまりにも大きく、全然分かりません。

これは、後に英語を教えるようになってから理解した事なのですが、中学校と高校の英語の1番の違いは、単語数です。育った年代にもよりますが、一般的に中学校で学ぶ単語数は1300語程度、高校だと2000語程度になります。なので、高校3年生の時に見て愕然とした教科書は、知らない単語ばかり、読んでも全然意味がわからない、と言う感じでした。

それでも、高校3年生の1学期はひたすら教科書の単語を調べ、和訳し、みたいな、所謂学校の「英語の勉強」をして、とりあえず中間テストとか、期末テストでは点数が取れるようになりました。しかしながら、当然のごとく、大学受験には失敗し、しかし、労働からは逃れたく、親に「もっと勉強したい」と嘘をつき、1年間の浪人生活を許してもらいました。その中で出会った勉強方法が、「多読」です。

浪人生なので、普通に予備校に行って受験勉強をしていたのですが、英語に関しては何かしっくりこず、「これで良いのかな?」と感じていました。時間はあったので、思い出したようにNHKのラジオ講座「英語会話」を再開しました。この頃は、大杉先生だったと思います。

当時(1970年代)は、まだまだ英語が話せる人は非常に少なくて物凄く特別な存在でした。なので、NHKラジオ講座を担当している講師の方達は、本当に「凄い人」でした。不思議な事に、初代の松本先生から、東後先生大杉先生、そしてビジネス英語の杉田先生も、いずれも日本国内で英語を身につけた方達です。同時通訳の國弘先生とかもそうだったと思います。

先生方はそれぞれ講座を担当されるだけでなく、著作を発表されていました。どうやって、海外で生活もせず日本で英語を身につけたのか、と言う点に対して、皆さんが共通しておっしゃっていたことがあります。

  • 中学校のテキストを丸暗記する
  • 多読する
  • 本物の英語を聞く(教材ではなく、と言う意味)
  • 英英辞典を使う
  • 日常的に書く

なんとなく、ピンと来たものがあったので、「多読」を始める事にしました。どう言うきっかけか覚えていませんが、恐らくラジオ講座テキストの広告だったのかな?、「同時通訳式速読法」みたいな、怪しげな通信教育講座がありました。それほど高価なものではなかったのでなんとなく始めてみました。

カセットテープとテキストが月1回送られてくるもので、6ヶ月コースみたいなものでした。内容はスラッシュリーディングののようなものです。

スラッシュリーディング

I saw a woman I used to work with when I was living in Tokyo.

I saw / a woman / I used to work with / when I was living / in Tokyo.

私は見た / 女性を / 一緒に働いていた / 私が住んでいた時 /  東京に

今考えると当たり前のことですが、所謂学校英語しか勉強したことがなかった当時の浪人生には画期的な方法でした。教材の英語もちょうど入試英語的なものだったので、この方法で読めるように練習しました。

文字で説明するのは難しいですが、「英文を頭から英語の語順で理解する」と言うのは非常に大切で、これができないと、早く読めないし、早く読めないと聞いても分かりません。所謂学校英語の「英語は後ろから訳す」みたいな読み方をしているうちは英語力は伸びません。

この怪しげな通信講座のおかげで、正しい英語の読み方、理解の仕方を習慣づけすることができました。今では、恐らく中学校・高校でもこのような教え方をしているのだと思いますが、当時としては、まだ非常に珍しかったのだと思います。

2)英英辞典

この時期に、英英辞典を使い始めました。語学学習という面では、これも非常に大きなポイント、というか分岐点だと思います。英英辞典は最初は非常に分かりづらかったのですが、英和辞典だけを使っていた時期と英英辞典中心に変えた後では、英語力の面で大きく変わっています。

詳しい事は、英語学習方法のカテゴリーで書くので、ここでは、メリットを箇条書きにします。

英語を英語で理解する

日本人学習者の場合、英語と日本語では圧倒的に日本語が強いのが当たり前です。英和辞書で、「extraoridinarily=異常に」と調べたら、日本語で意味が書いてあるわけなので意味はすぐに頭に入ります。しかし、30分後に頭の中に残っているのは、”extraoridinarily”ではなく、”異常に”です。日本語の方が強いので当たり前です。なので、英語力向上という面ではあまり効果はありません。(単語の意味はわかります。) 英語で「extraoridinarily=in a very unusual or remarkable way」だと、確かに単語の意味はなんとなくモヤッとしか捉えられませんが。英語が記憶されていきます。

単語・表現の語感を身に付けられる

先ほどの、「extraordinarily=in a very unusual or remarkable way」の例のように、英英辞典で調べると、単語の意味はなんとなくモヤッとしか捉えられません。必然的に例文をいくつか読んで意味を掴もうとします。そうすると、その単語が別の文で使われているのを見るわけなので、違うニュアンス/意味合いで使われています。異なる使われ方をしている例を複数見ることで、その単語・表現が本来持っている、「言葉の幅」を感じることができます。「extraoridinarily=異常に」と言う理解の仕方では絶対に身につかない、「語感」を身につけることができます。

基本単語を習得できる

英英辞典、特に学習者向けの出来ている英英辞典は、見出し語の意味を基本単語(だいたい3000語くらい)で説明しています。と言うことは、数多くの単語の意味を基本単語3000語で説明してあり、その基本単語3000語は、色々な意味を説明する/または例文で使用され、繰り返し目にします。上記2つ目のポイントの良い例ですね。基本単語を語感含めて身につけることができます。

  

3)多読

その他に、多々メリットがあるのですが、ここではここまでにしておきます。と言うことで、この時代に、「同時通訳式速読法」(それにしても渋い名称だ)と「英英辞典への転換」を経て、「多読」も始めました。

当時、東京駅/大手町で乗り換えていたので、良く乗り換え時に日本橋の丸善へ寄り道していました。今と違って、洋書とか置いている書店はあまりなかったので、丸善は貴重な存在でした。そこで、面白そうなペーパーバックを買って読み始めたのですが、さすがに語彙力不足で手強すぎました。仕方なしに、「日本語対訳版」を何冊か読みました。それこそ「あしながおじさん」みたいな本です。

それから、学習者向けの、和訳は付いていないものの語彙説明が付いている本、に進み、最終的にペーパーバックに進めました。と言っても、難しいものは読めず、当時テレビで流行っていた、「Charlie’s Angels」みたいなものです。どのくらい読んだか覚えていませんが、恐らく浪人時代に30冊程度のペーパーバックを読んだと思います。

大学入試の英語は語彙力が求められるのですが、私の場合、入試単語8000込みたいな本で機械的に覚える、みたいな事は苦手なタイプでした。なので、単語力は「多読」自然と増やしていったのですが、それがかえって良かったのだと思います。

と言うわけで、この1年間で英語力はかなり伸びたと思います。そのため、英語の配点の高かった、青山学院大学文学部英米文学科に入学する事になりました。

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